竹田青嗣『〈世界〉という背理』を数人で重い石を持ち上げるようにしてなんとか読み切った。竹田の仕事につうじてるひとの力を借りて、〈世界〉ってなんだ? 背理ってどういことだと立ち止まりながら読んだ結論として、小林秀雄論としても吉本隆明論としても、比類なき傑作評論だと思ったよ。竹田青嗣よわい40歳のときの本。あっぱれだ。しかし当時あの本が言わんとしたことを理解したひとはどれほどいたのだろうか。
竹田青嗣『〈世界〉という背理』を数人で重い石を持ち上げるようにしてなんとか読み切った。竹田の仕事につうじてるひとの力を借りて、〈世界〉ってなんだ? 背理ってどういことだと立ち止まりながら読んだ結論として、小林秀雄論としても吉本隆明論としても、比類なき傑作評論だと思ったよ。竹田青嗣よわい40歳のときの本。あっぱれだ。しかし当時あの本が言わんとしたことを理解したひとはどれほどいたのだろうか。
今朝の京都新聞デジタル版で、拙著『列島哲学史』(みすず書房)について、インタビュー記事の形で大きくとりあげていただきました。
www.kyoto-np.co.jp/articles/the...
SNSが生の中心となった現代ほど、ひとがひとを嫌い、憎むような世の中はなかっただろうと思うよ。憎しみの総和は80年前の世界戦争のときよりもいまの社会のほうが大きいだろう。悪意になれた人間ほど怖いものはない。
私は自分の読んだ本を、「わかる―わからない」、「面白い―面白くない」という二つの軸からなる四つの象限に位置づけてみることがある。
そのなかで一番評価が高くなるのは、「わからない―面白い」というカテゴリーだ。
よほど面白くない限り、「わかる」こと自体には価値を置かない。それがマイルール。
the Letterに新しい記事をアップしました。柴崎友香の異形の恋(変にして偏)愛小説『寝ても覚めても』(河出文庫)の文庫解説文です。読者登録(無料)していただければ最後まで読めますので、よかったらご一読下さい。
toyozaki.theletter.jp
東日本大震災のときも、コロナ禍初期も、日常が止まることの苦しさを嫌というほど味わった。日常的な時間の流れが止まった社会では、不確かな情報が沸き続けるのだということも知った。そのなかに閉じ込められ、あてにならない政府の発表を待っている、あの、何かが引き延ばされているだけの感覚。もうこりごりだ。災禍、ましてや戦禍なんてものは、やってきてほしくない。
イベントのお知らせです。
3/31(火)19時より、東京神田神保町(読書人隣り)において、昨年『日本政治思想史』(新潮選書)を刊行された、思想史家の原武史さんとの対談イベント、「日本とは何か? 継承の可能性をめぐって」が行われることになりました。
司会は、拙著『列島哲学史』(みすず書房)への書評をwebみすずに書いてくださった、書評家の長瀬海さん。
オンライン配信も行われます。
どうぞふるってご参加ください。
dokushojin.net/news/1280/?d...
あとネットで酷評されてる宮崎吾朗監督作『アーヤと魔女』は傑作だった。子どもは弱い、大人は残酷みたいなレッテルを引っ剥がす、ハヤオには作れない映画だと思ったよ。みんな五朗さんに厳しすぎよ。
さいきんジブリ仕事をしたのでジブリ映画をたくさん見(直し)てるんですけど、『魔女の宅急便』はやっぱり良い映画だなと思った。ハヤオ後期の作品は人間の屈折が描かれずに、社会的な批評性だけで2、3時間見せようとするものばかりなんだけど、初期作はちゃんと人間的な弱さがある。あと、キキとウルスラ(『百年の孤独』!)を高山みなみが二役やってて、ウルスラはキキとのカット以外には現れないから、彼女らが登場するシーンはひとりの人間のこころの対話みたいな感じになってるのとか気づいてなかった。なんならトンボは山口勝平だから『名探偵コナン』の原型なんですよね。
雪はもういいかなという気分。
文芸時評をやっていると、大なり小なり、知り合いの作品も読むことになる。そのときに忖度して、手放しで褒めることはしたくないなと思っている。もちろん良いものは良いと言うが、遠慮はしない。「遠慮」は批評を鈍らせるだけだから。それでおれから離れるなら最初から近づかないでくれと思う。
【イベント情報】神田神保町「読書人隣り」にて行われるトークイベントのお知らせです。
〈日本の思想とは何か? 継承の可能性をめぐって〉
原武史×野口良平トークイベント(司会:長瀬海)
3月31日(火)19:00~ 来場&オンライン(アーカイブあり)
📚詳細・お申込みは以下をご覧ください。
dokushojin.net/news/1280/
ぜひ! あと、野口さんには町田康の『朝鮮漂流』も読んでもらいたいです。書評を書きながら野口さんだったらどう読むかをずっと考えてました。
大江健三郎未発表小説ふたつ読んだ。ヒューマニズムへの批判が行われてることに驚いた。というのも、『ヒロシマ・ノート』の主題がまさに「新しいヒューマニズム」だったから。今回発見された作品にはユマニスト党なる過激派がでてくるが、ここにはフランスのラブレーを通してユマニスムを論じていた大江の師匠・渡辺一夫の影響があるのは間違いない。作中では「ヒューマニズムは本来、そういう残忍さをはらんでいる」と言う。そこから、原爆の投下が「ヒューマニズム信仰」の結果だと考えた『ヒロシマ・ノート』へは遠く離れていない。戦後的な閉塞感からの脱出と、その試みの失敗。といった主題が、このあと変奏されていったのだろう。
トランプを選んだ国民はいま何を思っているのだろうか。どうか自責の念にかられててくれ。
ある批評家が某小説について、昨今の漫画家による性加害を予見していたような作品だと評していたが、個人が受けた性被害を「予見」していたと平気で言ってしまう批評は粗暴ではないかな。
書いた書評のゲラを見たら、勝手にじぶんの文章を削られたり、変えられたりしてて、すっごいストレス。なにこれ、おれだけにやってるの? ほかのひとから何も言われないの?
しかしそのような権力勾配の誤解にこそ、高市が無敵な理由の一端がある気がする。これが安倍や岸田だったならどうだったか。太田光の質問は「反権威」として認められていたはず。「女性首相」であることが「反権威」の男性的な物言いを無化させている状況が高市を無双させているのだろうな。
太田光の質問がクオリティのよいものかどうかは別にして、あれをブラック企業の上司の抑圧に喩える議論をXで見たけど、権力関係がぜんぜん違うだろうが。言わずもがな、高市は日本社会における最大の権力者である。そんな彼女に責任を問う権利がひとりの芸人に認めないのなら、そこにあるのは独裁国家でしかないのでは?
怖い、怖くて仕方ない。このままだと憲法もほんとに改正されてしまう。これでいいのかよ……これが、あれから80年後の日本人が望んだ社会なのかよ……。
本屋大賞のノミネート作、今年は一つも読んでない。本屋さんとは趣味が合わないなぁ。
町田康さんの新作『朝鮮漂流』、朝鮮に流れ着いた薩摩藩士が現地の役人と漢語の筆談だけで交流してみたら……っていうフィクションなんかなと思ったら、しっかりとした史実で、しかも神戸大学のアーカイブに保管されている実際の文書を町田さんが翻刻しながら小説作ったのだと最後のページで知って驚愕してる。
ちょっと仕事で必要だったので、先日から西村賢太を読んでいた。すごいね、この小説家は。多くのひとは西村賢太は「否定性に突き動かされて書いている」と誤解をしている。そうではなく、西村賢太は「否定性に突き動かされている自分を書いている」んですよ。これが、ほんとうにすごい。ここを間違えると、西村賢太に「差別」とか「暴力」というレッテルをはってしまうことになる。また、この「否定性に突き動かされている自分を書く」ことを「自虐」とかそんな貧弱な言葉でとらえるのも違う。もっと哲学的に深いことだと思う。
批判って褒めるよりも何十倍も難しいんですよ。
ここさいきん書評を書いて、著者本人から直接あるいは編集者を通して間接的に、謝意を含むメールをいただいたのは、どちらも批判的なことを少し書いた場合だった。批判的なことを書くのは気持ち良くはない。でも、その本への愛を掴むのに、批判を通り抜けなきゃいけないときもある。批判をするために批判するのではなく、その本を愛するために批判から逃げないこと。独善的にならずに、本の著者とじぶんの間に相互理解の回路を用意したうえで批判し、また、称賛すること。動画で「紹介」が全盛の時代にあって、そういう書評を書くことをいつも心掛けたい。
「ツールをツールに戻してくれる。人間を人間に戻してくれる」まさしく、ですね。
いまのXってアメリカの帝国主義とべったり癒着してると思うんですよ。そこから離れられない日本人はいつまでも「アメリカの影」とともに生きてるんだなって思いますね。
ブルースカイユーザーにはぜひ読んでほしい投稿。
「情報のプラットフォーム(そこを起点にみんながそれぞれ違う場所に向かって出発する場所)としてのソーシャルメディア」という思想が明確に語られていて好感がもてる。
なにこれ、めっちゃいい文章じゃん。特に③>Blueskyで過ごす時間は減る(そして、ここで見つけた面白い活動をする時間が増える)
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