ママリの相談をずっと読んでるんだけど、自分からの距離が遠すぎて相対的な自分の立ち位置がわからず逆に全て自分の悩みのような気がしてきた
ママリの相談をずっと読んでるんだけど、自分からの距離が遠すぎて相対的な自分の立ち位置がわからず逆に全て自分の悩みのような気がしてきた
紐パン!?と思って全部見たけど期待してた紐パンじゃなかった
人と比較するといろいろある方だろうな、と想像するけど、実際はどうかわからない。でも、一般に良いとされるイベントも悪いとされるイベントもきっとそこまで喜んだり悲しんだり出来ないんだろう。30過ぎると自分がもはやそこまで大きく変わらないであろうことは分かる。
人生が面白いと思ったことないな。苦しいか何もないか。まさか30過ぎてもこうだとはね
2万円のキーボード買ったけどめっちゃデカくで邪魔だったから2000円のキーボードに替えたけどなんの不自由もない
メキシカンマフィアに後頭部を撃たれて奇跡的に生き残った坊主が霊感に気づいたのが、報復のためにアジトに侵入したときマフィアに命を奪われた幽霊が現れたからで〜とかナゾのエピソードでウケた(本筋と関係なし)
くだらないと評判の官能小説読んでみたら想像の10倍くだらなくて笑った
全身が痛いと話題に
全身が痛いと話題に
そうです!このチャンネルいいね。他のチャンネルだと被害者の人のことバカにしてたりして結構イヤな気持ちになることあったけどここはちゃんとリスペクトがあるわ
この人生きてるの奇跡すぎてまとめの箇所で声出して笑ってしまった
www.youtube.com/watch?v=diBF...
韓国のりも食べてます
コッペパン2個/day だった日々から お弁当6個/dayに変化
1ヶ月ぶりに料理した
マラソンの厚底シューズによるケガの場合はシューズに合わせたフォームの変更ができていないというテクニックの問題だけど、アナボリックステロイドの場合はヒトとしての先天的な個体差の問題だというのが分岐点なのかな?
いまは筋肉のデカさだけでなく全体からみたときのバランスも評価に組み込んだり、あきらかな副作用(内蔵肥大)が見られることをマイナス評価にすることで、ステロイドチキンレースに歯止めをかけようとしてるのはわかるんだけど…
マラソンの厚底シューズが体を壊すことがあるっての見ちゃうと、ボディビル競技シーンが筋肉増強剤(アナボリック・ステロイド)を使い続けていることに対して「体を壊してでもトップを目指したいから競技なんだ」とか「ふつう体を壊すようなリスクを取っても壊れない体に生まれることも込みで才能なんだ」みたいなこと言ってる人がいるのを思い出してしまうな。
おれは基本アナボリック・ステロイドの使用に反対だけど、実質打つのが当たり前になってしまっている現状を考えると、管理されない乱用による死亡事故を防ぐためにルールに組み込むべきなんじゃないかと考えてもいて… うーん…
マラソンでは厚底シューズが競技シーンを席巻して、今でも上位層のあいだではデファクトスタンダードになってるみたいだ
www.sponichi.co.jp/sports/news/...
この記事詳しそう
ルールが厳しくなったあとすこし緩和されてメーカーの差別化競争が加速したらしい
いまではレーザーレーサーなしでは更新はムリと言われていた記録も塗り替えられるようになったと
swimstation.jp/topswimmer/h...
そういえばレーザーレーサーってまだ競技シーンで禁止されてるのかな
ストリートファイター6が世界大会直後に散々文句言われてきた要素が調整されるのを受けて「プレイ人口のうちごく僅かなプロのためにおれたちはこんなくだらないことに付き合わされないといけなかったのか」って言ってるブログを見かけたが、プロシーンの拡大に伴ってメーカーのきまぐれな調整が文字通り人生をぶっ壊す可能性を考えると、これで良かったんじゃないかと思うなあ
出自の怪しいこの発見経緯を支持し続けること自体、「価値を正しく理解している西洋人が、東洋的で奇妙な物語を語る現地人から文書を護る」というオリエンタリズムの視線に貫かれてますよね、しかもそれって単に商品価値を高めるためのウソかもしれないですよね、的な批判がされてるみたいだ
doi.org/10.15699/jbi...
themarginaliareview.com/still-rethin...
ここ10年くらいだと単なる墓荒らしを誤魔化すためのストーリーだろうみたいな突き放し方をされてるぽいけどおもしろすぎる
Wikipedia「ナグ・ハマディ写本」のスクリーンショット この発見の半年前の1945年5月7日の夜に、2人の兄弟の父親アリー(畑の灌漑の夜警の仕事をしていた)が、見回り中に1人の泥棒を殺した[26]。アリーはその仕返しを受けて翌朝までに殺された[26]。この事件が、後のナグ・ハマディ写本の運命と関係してくる。 ムハマンドが写本を発見した1ヶ月後、家の近くの道端で日中の暑さで眠りこけている男がいた[26]。隣人がこの男を見かけると、男を指差してムハマンドに、お前の父親を殺したのはこの男だ、と言った[26]。この男は、アーマド・イスマイル (Ahmad Īsmāʻīl) という名で、警官イスマイル・フセインの息子だった[26]。アーマドはハワラ族で、父親はアル・カスル (al-Qasr) 村の外からやってきた人物だったので、村では疎外されていた[26]。 ムハマンドは、家に駆け込むと兄弟と母親にこのことを告げた[26]。アーマドを捕まえると、一家で、アーマドの手足を徐々に切り刻み、心臓をえぐり出して全員でむさぼり食い、血の復讐を行った[26]。ハワラ族はジャバル・アッターリフのふもとに村を作って住んでいたので、復讐されることを恐れて、この後ムハマンドは壷を見つけた場所に近づこうとはしなかった[26]。
初期キリスト教の文書とされるナグ・ハマディ写本の発見経緯、話としておもしろすぎる
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%...
近代の作家論パラダイムで → 近代の作家論パラダイムの延長で
だった
そうした作家によって書かれた小説を読めば人格が陶冶されるという信念が、小説を国語教育のなかに導き入れたのである。 石原千秋. 読者はどこにいるのか 書物の中の私たち 河出ブックス (p.19). 河出書房新社. Kindle 版.
「遅刻やいじめが少なくなった」「他人をおもいやる気持ちが出てきた」あたりの意見から見るに、石原千秋『読者はどこにいるのか』とかでも紹介されてる近代の作家論パラダイムで読書が捉えられてるんだなあって感じする
東京大学大学院教育学研究科の報告に"実際に、『朝の読書』が定着した学校では、「本を読まなかった子が読書好きになった」「読書をすることで子どもたちに落ち着きが出てきた」「読解力がついた」「語彙が豊かになった」「遅刻やいじめが少なくなった」「他人をおもいやる気持ちが出てきた」などの様々な効果が報告されている。"と書かれている
朝読書でいじめが減る!すごい! (ほんとか?)
www.p.u-tokyo.ac.jp/lab/ichikawa...