50年後の藤見ババア「わしが若い頃はな、ホワイトハウスのX公式アカが無許諾でアニメ遊戯王の映像を使ったクソコラみたいなMAD動画を作って戦意高揚のプロパガンダを振り撒いておったんじゃ…」
村の悪ガキ「またホラ吹きババアの昔話が始まったぜ!いくらなんでも21世紀の政府の公式広報がそんなことするわけねえだろ!!」
世界が正常化したことに感じ入り目を細めるババア「ほっほっほっほ……」
50年後の藤見ババア「わしが若い頃はな、ホワイトハウスのX公式アカが無許諾でアニメ遊戯王の映像を使ったクソコラみたいなMAD動画を作って戦意高揚のプロパガンダを振り撒いておったんじゃ…」
村の悪ガキ「またホラ吹きババアの昔話が始まったぜ!いくらなんでも21世紀の政府の公式広報がそんなことするわけねえだろ!!」
世界が正常化したことに感じ入り目を細めるババア「ほっほっほっほ……」
(急いで追記)
上のやり方で納得しない種類の人たちは、出てくる。
平和や人権にクソリプを唱える種類の人たちは、「もっと自分が(自分側は傷つかずに)暴力性・加害性を発揮できる社会が欲しい」と思っている。
無害で軽視される人ではなく、有害で大事にされる人になりたいのです(その点、トランプは絶妙なアイコン)。
しかし、正面きってそうは言えないので、いろいろな言い換えをしているのです。
このあたりを、どのように解体すればいいのか? これは今の世界が抱えている課題かもしれません。
当たり前の話だけれども、平和も人権も、なくなってみてその重要性を痛感する種類の概念。平和構築、人権擁護は、しつこく唱え続ける必要がある。
もし、平和や戦争反対、人権や差別反対という言葉に反発を覚える人がいるとしたら——
「その平和に、人権に、あなたも包摂されて守られているのですよ」と語りかけるやり方があるかもしれない。
もし「いや、私の守られている度合いは不十分で不公平である」といった異論がくるなら(インセルが言いそうな予感)——
「だったら、より包摂的で公正な社会制度を求めて異議を唱えるのが正攻法ですよ」と語りかけるやり方があるかもしれない。
オチなし。
アメリカではここ5年で女性向けロマンス小説の売り上げが倍増、そのほとんどが二次創作出身の作家。それらが一人称視点で書かれたものばかりな影響で近年のロマンス小説から本を読み始めた読者は、三人称視点の小説を不自然なものとして嫌う傾向にある…っていうアメリカで夢小説が流行りすぎて夢小説しか読めない読者が増えてるみたいな面白記事
slate.com/culture/2026...
「公式が迷惑する」は自我がないんじゃなくてむしろ自我が強い主張だよ だってそう言ってるやつってみんな、公式が自分の気に入らない事した瞬間に公式が乗っ取られたとか外圧に操られてるって言い出すから
ウマですら限界なのに、女しか出ないヤツは本当にキツい。俺と同じミソジニーどもは何故あれに耐えられるのか不思議だ。
ブルアカ、気色の悪い女しか出ないゲームであるのを除けば本当に面白そうなんだが、女しか出ないから気色が悪くて絶対にやる気にならん。
ブルアカのアカの部分の人は本当にがちのアカなのですごい 萌えキャラが本当にコレを言うゲーム ブルーアーカイブ
『七人の侍』のリバイバル上映を観に行ったとき、老夫婦がポスターの前で交互に写真を撮っていたので、「お撮りしましょうか」と声をかけてスマホを受け取った瞬間、おじ様が三船敏郎の、おば様が志村喬のポーズを取ってくれたの、なんだか嬉しかったな。こんな風に歳をとれたら素敵だろうなと思った
バブル経済からこっち、社会派からの後退が日本の娯楽が目指すことだったんで、その帰結を今まさに味わってるんですよ。楽しいんだと思いますよ。腐った実としか俺は思わんけど。
一方、日本では状況が違うのかもしれません。
野間易通 , 『実録・レイシストをしばき隊』, 河出書房新社, 2018年は、日本ではポストモダンの論法はもっぱら正義を相対化することに用いられ、冷笑系、ネトウヨのルーツになったとの見方を示します。このあたりを紹介した過去の投稿を引用。
bsky.app/profile/akio...
申し添えますと、ポストモダン批評には意味があったと思います。それは、「周縁から中央の権威への異議申し立て」であったということです(例えばデリダはアルジェリア出身のユダヤ系)。植民地主義の解体、家父長制の解体に、ポストモダンの話法は貢献しました(注)。
注:このあたりの議論は下記文献より大意を引用
Markus Gabrielほか, Towards a New Enlightenment: The Case for Future-oriented Humanities (The New Institute Interventions) 2023/4/25
>RP
「戦争反対」と唱えたとき、
"自分の意見に相手を従わせようとしている"
という反応が出たというお話。
私も、XやらチームみらいGitHubやらで人権の話をしたとき、そっくりな意見を見ました。
ポストモダンブームのとき、「大きな物語は死んだ」「絶対的な正しさなんかない」という考え方が流行しました。その延長に、
「南京大虐殺があったともなかったともいえない(東浩紀の以前の有名な発言。最近「訂正」した)」
「戦争反対とか人権という言葉で、議論を封殺するな」
といった複雑骨折した主張が出てきているのかも、思っております。
ポストモダンと肥大した自己愛の悪魔合体、よくありません。
必殺!シャイニング!乳首!
俺の乳首が光ってうなる。おまえを倒せと輝き叫ぶ。
はだしのゲンの父親がマクロス7の挿入歌「突撃ラブハート」を歌うコラ画像
これだわ、はだしのゲンの父ちゃんが突撃ラブハート歌うゲンコラ。字体もはだゲン原作に近づけていて、はだゲン、マクロス7両方本気で好きな人が作ったゲンコラに思う
ゲンの父ちゃんが空襲に向かって突撃ラブハートを絶唱するゲンコラがあったがあれは双方の思想信条に何も反していない奇跡の名作だった
50歳以上の皆様におかれましては「プルバックゼンマイ」という言葉についついビックンビックンと反応してしまうことと思いますが
それまでの世界観が破壊された人間は、それまでの世界観を捨てるのではなく、しがみついて離れなくなるもんですよ。
どうせ外国人が悪いって排外主義を高めるオチにつなげて、国内の関係ない異人種叩きに走るのが関の山だと俺は絶望している。
医療も物流も食品加工も大打撃、娯楽産業だって真っ先に不要とされかねない。それがこんな具体的に、目に見えて降りかかってきてるタイミングで話ができないと断じちゃうのはあまり同意できないかなー。
話にならない人は確かにそこここにいるが、端から無理と言えるほど全滅でもない。
そうかなぁ。今ほど明らかに具体性の話ができるタイミングなくないか?>RP
あと対話を諦めたら我らがジリ貧で死ぬ。
当人たちは惨めじゃないんじゃないんですかねえ。資本主義に浸かってるから世界観が明朗でわかりやすくてカネを払えば気持ちよくなれて、カネがあるほど強い。考えなくていいからラクですよ、きっと!
そろそろ話を聞く気がない相手にどう話し方を工夫すれば聞いてもらえるか、という不毛な話はやめた方がいい 無駄だから
「戦争反対」には具体性がなく、いいように頭お花畑な主張だと解釈されてしまうので訴求力がない
では具体的に主張したらどうなるだろう「長すぎるよ、もっと簡単にまとめてくれない?(冷笑)」となるだけである
今日本で自分らのような反戦派は、政府は架空の戦争危機を煽って国内を統制したり、排外主義をやったり、兵器を作ろうとしている、という認識をしているが
戦争肯定派にとって戦争危機は実際問題で、政府がやっていることは必要最低限の防衛に過ぎない、あるいは戦争危機とは無関係な事象だと認識している
なので反戦派は頭お花畑、大袈裟だという話になる
「戦争反対」への忌避感、戦争反対なんて誰でもそうだし当たり前のことで(今はその前提自体も疑わしいが)、それを主張する背景にある、何が戦争に繋がるものか、反戦のために何をするかという部分に忌避感を持たれているのだと考えている
つまり戦争反対って言う人は、敵に攻められても何もしないし最低限の防衛もしない、頭お花畑に違いないから…という認識が根底にある
まだ世の中生活は苦しいし仕事は山積みだし第三次世界大戦にまっしぐらなので推しを見たり連想するときに一切現実に侵入されたくない、のほうが共感度が高い。それはわかる。そして実際そういう理由を「政治を持ち込むな」と表現する人も案外多い。あと、「政治」を持ち込むと「差別するために推しを利用する」が起こるから一切拒否という人もいるし
政治思想やあらゆるイデオロギー、立場、国籍や民族を超えて「好き」でつながれる限られた空間と時間があり、そこでは誰もが共存できる。幻想でもあり理想でもあり実際でもある。
本来は現実でも上のような違いを互いに認めてなお話す、知るをできればいいのだけど、いまは先鋭化が先に立っちゃうからぬ…