来年度の授業に関するお知らせ
・博士後期課程の授業を担当します
・大学院ゼミは金曜2限です
kentakakusa.weebly.com/blog/7711972
来年度の授業に関するお知らせ
・博士後期課程の授業を担当します
・大学院ゼミは金曜2限です
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AIのカスタム指示には次のように入れている。(この文言自体はウェブのどっかに上がっているやつだったはず)
「あなたの仕事は、大学教員である私(専攻:社会学)の補佐をすることです。私があなたに求めることは、情報の正確性と、正確な情報に基づく的確なアドバイスです。可能な限り情報の出典を示すようにし、出典の不明確な情報の提示は避けてください。迎合は避け、批判的に応答するようにして下さい。不要な称賛は避けて下さい。」
SNSで回ってきたサムネイル画像の台詞「『フェミニズム』なんて言葉、知らなきゃ良かった」に、あー分かるわそれは確実に思う瞬間ある、ていうか友人からも妹からも学生からも聞いた、と興味を惹かれてリンク先の漫画を読み始めたら、途中でいきなり拙著『フェミニズムってなんですか』が出てきて、びっくり。
でも、「フェミニズムとかよく知らないけど世の中気になることや引っかかることは色々あるしそこんとこどうなのよ」という人たちにフェミへの入り口として読んで頂けたら、という本なので、まさにそういう文脈で書いてくださったのが、とてもとても嬉しいです。
月曜日に日本アニメーション学会で「ファン研究の問題意識と方法」と題してお話しします。拙著『ファンたちの市民社会』が「なんでファンのことを考えることが大事なのか」に振り切ってしまったので、このトークではもうちょっと研究入門的なことを話します。登録は土曜まで。
www.jsas.net/archives/2647
ジュディス・バトラー『触発する言葉──言葉・権力・行為体』(竹村和子訳)の岩波現代文庫版が届きました。ラウトレッジ・クラシックス版への序文を訳し、解説を書かせていただきました。「傷つける言葉」が相変わらず跋扈する現在に、ぜひ読まれるべき本です。3月17日発売。
来年度から博士後期課程の授業も担当することになったのでその報告も書かないといけないのだが余力がないのでまたこんど
(AIの時代)「AI、軍事に使わせない」共感 米企業、政権の制限緩和要求拒む
digital.asahi.com/articles/DA3...
現代人の必読文献
A must-read for everyone
第20回日本社会学理論学会大会での奨励賞の賞状
賞状をいただきました。
ただ、報告内容を活字にできるのはだいぶ先になりそうです。
その意味では、本書の問題意識は、先日の衆院選後に盛り上がった「リベラル批判」と通底している部分がある。あの「批判」も要するに、高齢者を中心とした「リベラル」の選民思想、上から目線、若年層蔑視が問題化されていたように思われるからだ。
事実、この書籍では本好きのそういった自意識を批判する文脈で「リベラル左翼」を批判する発言が引用されている。
ということで、「自分たちは時代から必要とされていない」という事実とどう向き合うのかが問われる読書ではあった。
...ほんとに何も思い付かないんだけれども。
とはいえ、若いころから書籍に親しみながら生きてきただけでなく、ニュースやジャーナリズムを研究対象とし、本業ではないにせよ本も出している立場からすれば、本書を読んでいるとどうしても暗い気持ちになる。
長文でしか伝わらないことが世の中には存在するのではないかと思うからだ(本書の趣旨からいえば、この連続投稿自体がすでに「読みやすさ」の域から大幅に逸脱している)。
しかし、本書が厳しいのは、そういう「本好き」の自意識までも解体しようとしてくる点である。「本を好きな自分が好きだから、もしくは本を読むのは偉いという選民思想があるから、そのようなポジショントークをしているだけなのではないか」
まず、書籍ではなく動画視聴に時間を割くようになっているのは若年層に限らないこと。
次に、大学生が本を買わない重要な要因の一つとして経済的な余裕が以前よりなくなっていること(「仕送り額ー家賃」の平均が大きく減少していることを示すグラフはかなりショッキングである)。本の価格が上昇していることも、もちろん要因としてある。
そして何より、「本を読まないこと」と「知的でないこと」が決してイコールではない点が強調されていること。本を読まないにもかかわらず知的に成熟した若者の存在が繰り返し語られている。
飛行機のなかで稲田豊史『本を読めなくなった人たち』(中公新書ラクレ)を読んだ。評価が難しい本だと思う。
全体としては将来的に、報道や本の出版から流通までが(少なくとも現状の形では)存続不可能であることが論じられている。特に前半が強烈で、若年層のインタビューをもとに本を読む行為そのもの利点がほぼ感じられなくなっている現状が論じられている。
帯のイラストのインパクトもあって、この部分を読んでいると、「ち、近頃の若いものは〜!!!」という高齢者の繰言が喉から出てきそうになる。
ただし、本書を全体を通して読めば、いわゆる若者バッシング本にしたくはないという著者の意図も感じられる。
尾高シンポがおわり、植村玄輝さんと石川健治先生とこの時間まで3人で延々と学問談義をしてようやくホテルに到着。
石川先生の謦咳に接した日として、記憶に残るであろう日だった。
【速報】イランへの攻撃は米国とイスラエルが共同で実施。米メディア報道
www.asahi.com/articles/ASV...
若手研究、3回目の挑戦でようやく採択された…
「理論研究」の看板を降ろして「学史研究」とせざるをえなかったのは忸怩たる思いだが、プロジェクト期間内には「理論」と「学史」の関係についても検討していきたいところ。
こちら、オンラインの参加登録は明日(28日)の17時締め切りです。
SNSを見る暇がないほど追い立てられている。
【研究会のお知らせ】
3月5日に、包摂的ジェンダー社会学プラットフォーム(ほうプラ)第2回研究会にて、個人報告を行います。
報告題は「クィア・ペダゴジーをクィアする——クィア理論の再帰的批判の傾向に注目して」です。
報告はもちろんのこと、参加者の皆さまとお会いできるのも楽しみです。
pisg.jimdosite.com/%E7%A0%94%E7...
Theorizing from Lived Experience: A Roundtable on Phenomenological Approaches
A BSA Theory Study Group Event
www.britsoc.co.uk/events/key-b...
27 February 2026 (3.30-5.00pm GMT)
Online
高額療養費の自己負担拡大に異論 野党・患者団体なお反発
www.nikkei.com/article/DGXZQO...
高額療養費制度は、患者が医療機関に支払う金額を一定水準までに抑える制度。
特別国会で審議する2026年度予算案は、高額療養費の見直しによる300億円の国費圧縮が前提となっています。
金額は政令で設定しており法改正は伴わないものの、予算案審議で批判が出る可能性があります。
選挙期間中、YouTubeはどのような状況になっていたのか。
NHKがタイトルに党首らの名前が含まれる動画を調べたところ、トップは高市首相で、全体の51%を占め、計1億8000万再生を超えていました。
この数は、他党の党首らや党名を含む動画の中と比べても多くなっていて、“一人勝ち”ともいえる状況です。
さらに投稿者を分析すると、3分の1を占めていたのが、匿名の第三者による「切り抜き動画」や「まとめ動画」を扱うチャンネルでした。
記事では、「飲み代」のためにこうしたチャンネルを運営している人物への取材も。分析を担当しました。
news.web.nhk/newsweb/na/n...
「尾高朝雄と法の現象学 シンポジウム 社会団体論と初期現象学――法哲学者・尾高朝雄の思想形成 現象学と法学の対話2」のフライヤー 愛知大学人文社会学研究所主催シンポジウム 尾高朝雄と法の現象学 【日時・場所】 3/1(日) 13:30〜17:30 愛知大学豊橋キャンパス センタービルディング111室+オンライン配信 【登壇者】 高艸 賢(千葉大学・社会学) 植村 玄輝(岡山大学・哲学) 石川 健治(東京大学・憲法学) 司会:酒井 泰斗(会社員・行動科学史) 企画:吉良 貴之(愛知大学・法哲学) 【概要】 尾高朝雄(1899〜1956)は、戦後のノモス主権論争で知られる法哲学者ですが、1920年代からグローバルに活躍する知識人でもありました。尾高は「京都学派」の哲学を学び、欧州留学中、当時世界最先端の哲学である現象学を研究しました。1932年に公刊されたドイツ語の著書『社会団体論の基礎づけ』が、近年、日本語や英語に翻訳されたことをきっかけに、尾高の初期の著作に注目が集まっています。本シンポジウムでは、尾高の思想形成を三つの専門分野からたどることにより、後の文部省著作教科書『民主主義』にもつながる豊かな学問的背景を探ります。
3月1日(日)に「尾高朝雄と法の現象学 シンポジウム 社会団体論と初期現象学――法哲学者・尾高朝雄の思想形成 現象学と法学の対話2」に登壇します。
わたしは(大正〜昭和初期の)日本社会学史における尾高朝雄の位置づけについて、彼が京大文学部哲学科社会学専攻で学んだことの意味もふまえつつ、考えてみたいと思っています。
申し込みはこちら
forms.gle/y24KZVzwepVT...
選挙のたびに思い出す「人びとの知識を決して過大評価してはならない。その知性を決して過小評価してはならない(Never overestimate the people's knowledge, nor underestimate their intelligence)」という格言。
たしかに普段から多くのニュースに接しているような人からすれば、多くの人は驚くほどものを知らないかもしれないけど、その知性を貶めるような見方をするべきではない。「サナ活」まわりの話には結構その危うさがあると思う。
(引用元の投稿に関連して、私が考えていること:)
衆院選の結果を受けて「「推し活」政治」とか「政治の「推し活」化」といったことが盛んに言われるようになっていますが、そうした言説が「推し活」(という言葉で指されるところの人々の行為や経験)に関する精緻な理解に基づいているかどうか、疑わしいと感じています。
また、この文脈において「推し活」という言葉の意味が多義化しているのだとしたら、「「推し活」政治」について語りたい人はあえて「推し活」という言葉を使わずに自分の主張を組み立てた方がクリアーな議論ができる可能性があると思います。
「推し活」という言葉が出てきた時はかなり個人的・内面的な活動として名指されていたと思う。資本主義と接続してしまって、「推し活政治」として批判されているものは、かなりいろいろな要素をごちゃ混ぜにしているので、そこは切り分けた方がいいと思う。おそらく「推し活政治」には、垂直方向の「個人とイメージとの関係」の軸と水平方向の「仲間・共同体との関係」の軸があって、この両軸の力を相互に変形して強化するメカニズムがある。このメカニズムは間接民主制に必然的に付随する。それと、デマ・誤情報の拡散・メディアの買収は原理的には別の話。