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エピローグ

@stopgenocide99

本降りになって出ていく雨宿り。数人で自家菜園。自分たちの分と炊き出しに提供する分の野菜を育てる。ときどき読書会。 「どうして知らずにおられるのかしら? 光があれば影がある。幸せの影には不幸があるし、喜ぶ人のうしろに涙を流す人がいるわ。自分たちの光の影には、悲しみの世界があることに、もっと早く気づくべきだったのよ。」『きらめきのサフィール』

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12.11.2024
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Latest posts by エピローグ @stopgenocide99

できるように
なるためではなく
できなくなるために

わたしを変えないため
わたしのふるえが
重ねられないように
わたしを守りつづける盾が
構えていないところから
現実にであえるような
世界に身をあずけて

共感に満ち
正しい行動ができる
マッチョになっていくのではなく

ただできなくなる

気にしないままで
割り切ることも
軽くあしらうことも
やり過ごすことも
できなくなって

今までのように
強くあることも
できなくなる

握って
安心していた手を
離された子どものように

それまでのところに
いられなくなって
耐えきれず
新しい手を
探しにいかずには
じぶんが生きて
いられなくなるように

08.03.2026 17:03 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0

まさにそれが自分の表現したい質であればそれでいいと思うが、希死念慮みたいなことばを自分にあてはめることで過度に圧倒されるのなら、厭世観といえばいい。よっぽど主体性や文化性が回復する。

成功体験なども変なことばで、手ごたえとでも言えばいいものをわざわざ考えをこじらす用語づかいをする弊害の大きさ。

24.02.2026 16:42 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

専門用語が雑な一般化を経てクラスタのジャーコンになって、囲い込みあるいは排斥の道具になっちゃったのあるし…。エイブリズムも含めて本当にこの言葉は適切か、人と話してみるとき、もっと一般的かつ意味としてふさわしい言葉はないか、と立ち止まることも必要というの

24.02.2026 06:49 👍 10 🔁 4 💬 0 📌 0

厭離穢土という考え方は、人間がいかようによいものを作ろうとしても、ここは汚れた世界であるので、良いものを作ろうとしても汚れたものを再生産することになるという徹底した全否定なのだときいた。

人間が本質を体現することができるという前提の社会設計に対して、それに疑いをもつのものとして、アナキズムを受け取っている。

たとえばボルネオのプナンのビッグマンというリーダーは、リーダーがおかしなことをしはじめると、言うことを聞いていた周りはすぐ逃散するので、強い悪が発生することができない。悪は強く大きく確かなものになれない。

本質を体現できない人間は本来的にはフェイルセーフの仕組みを作るのが妥当だろう。

16.02.2026 15:15 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0
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37年前の攻殻機動隊に現実は追いついた? 士郎正宗氏明かすAI論:朝日新聞 AI(人工知能)をはじめとする技術と人がともに生きる世界を、37年前に描いた漫画がある。「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」(講談社)だ。その後、アニメ化されて世界的な人気を…

Twitterの方に投稿しましたがこちらでも。

士郎正宗が珍しくメディアのインタビューに応じてAIを語った朝日新聞の有料記事、貴重なので2月15日16:37まで無料で読めるようにしました →

37年前の攻殻機動隊に現実は追いついた? 士郎正宗氏明かすAI論:朝日新聞
digital.asahi.com/articles/ASV...

14.02.2026 12:47 👍 302 🔁 257 💬 0 📌 5

希望といわれるものの実態が、世界を他人まかせにしておいていい希望であり、面倒なことや自分が問われることは考えなくていい希望であり、自分が変わらなくていい希望だった。

他人が動かないこと、変わらないことに文句を言っていたものが自分の足元に火がついて、なぜ自分がさらにと思いながら動きだす。

動きだすことに足りていなかったのは、希望ではなく絶望だった。

12.02.2026 01:04 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

緒方正人
「そういう制度社会自体がもう壊れてきている。崩壊前夜というか、その時に一人ひとりが絶望を認識するんで、私は絶望が個に返されている時代だと思いますよ。政党政治や労働組合にも不信感が強くなっている。組織運動も衰退の限り。逆のいい方をすると、個に返されているんだろうという気がします。「絶望が個に返されている」」

12.02.2026 00:47 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0

変化していくからだこそ
次の認識へと質的に
移り変わっていく知性

少し昔と比べると
ネタバレをとんでもない
マナー違反とみなす向きを
ああこれはひとびとの
経験の求めなのだと
理解した

結末をあらかじめ
知らされることで
からだは既知に
とどめおかれ
感受性の更新プロセスが
おこらない

昨今の大学では
先に答えを教えろ
無駄なことはいらないと
求められるというが

明確に経験を拒絶する対象と
熱狂的に身をさしだし 
他人を強く牽制しても
経験を死守しようとする対象の

この極端な差には
自身と乖離したアタマからの
働きかけを
自動拒絶するようになった
時代のからだが
反映されている

29.01.2026 18:16 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

信念は思考に属するものではなく
からだに属するものだととらえなおす

事実だろうな
現実だろうな
とアタマで思っていることは

からだにとっては
まだ事実でも
現実でもない

そういうことがおこるとは
予期していない
からだがであったことが
その人にとっての
事実となり現実となると

そして変わっていくための
場と経験過程を得られなかったからだは
季節を過ぎても発芽する条件が
与えられなかった球根のように
生きていけるかどうかなど
もはや関係なく生きられない場所でも
自殺的に発芽をはじめる
人間ももっとも幼稚で未分化な信念のまま
世界に働きける主体としての自身を
確認しようと暴走をはじめる

22.01.2026 16:25 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0
麦丸京都(mugimaru kyoto)の外観(1)

麦丸京都(mugimaru kyoto)の外観(1)

麦丸京都(mugimaru kyoto)の店内

麦丸京都(mugimaru kyoto)の店内

麦丸京都(mugimaru kyoto)でのイベントのチラシ

麦丸京都(mugimaru kyoto)でのイベントのチラシ

麦丸京都(mugimaru kyoto)の外観(2)

麦丸京都(mugimaru kyoto)の外観(2)

すぐご近所の、麦丸京都(mugimaru kyoto)。お店をやめて引っ越しされました。店主は営業をつづけたかったのですが、不動産会社の「意向」によって、やむなく……。

町内(地域)に、もっとも貢献していたお店。町内の子どもたちを含めた多くの住民が、このお店から、助けを受けたり交流の機会を得たりしてきました。「いつもお世話になっております」は、たんなる社交辞令でなく、実際に、そうでした。

03.12.2025 03:02 👍 27 🔁 9 💬 0 📌 0
本文で紹介している本の表紙画像

本文で紹介している本の表紙画像

Kawika Guillermo著「Of Floating Isles: On Growing Pains and Video Games」 books.macska.org/e0u0 フィリピンとハワイというアメリカによって植民地化された2つのルーツを持つクィアで自閉者のゲーマー&ゲーム研究者の自叙伝。大乱闘スマッシュブラザーズの自キャラはピーチ姫。…

24.11.2025 08:03 👍 19 🔁 4 💬 1 📌 0

がっこう しごと いくおみせ
としょかん しやくしょ すいぞくかん
こうしゅうといれ に
ばす たくしー
つりさげむしよけ しょうしゅうすぷれー
しょっきあらい に せいはつりょう
となりのいえ よこのひと
そんなの わたしのせいでない 
それでも
おなじくうきの なかにいるhttps://www.youtube.com/shorts/4NVIGzrVV_A

16.10.2025 13:06 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

徳島の高齢者の自殺希少地域では、自分たちが直接に取り組むことに対してケチらずお金を払うが、赤十字のような、自分たちに関係のないところで使われる募金のようなものには使わない人の割合がアンケートで多かったという。

このことは、アタマやコトバで説得され提示される理念やイデオロギー、アタマのいい人、えらい人(つまり権威)の言うことに受動的・優等生的に従うことよりも実感と経験、身体性にもとづき生成的に自分たちで暮らしを作りだす営み自体が、多様性へ向き合い、寛容な空間を作りだすことを示唆していよう。

マクロないいシステムをつくりお任せ、がそもそも間違った前提で、経験する身体性が見出される必要がある。

05.10.2025 05:28 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0
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にじーず|LGBT(かもしれない人を含む)の10代から23歳までの人たちの居場所 LGBT(かもしれない人を含む)の10代から23歳までの人たちの居場所です。中学生、高校生も安心して遊びに来てね。東京、埼玉、札幌、京都、岡山で活動中。友達作ったり遊んだり悩みを話したりできます。

【よければ広めてください】

LGBTの子ども若者支援をしている団体を運営している者です。

トランスジェンダーの子どもに関するひどい質疑で注目を集めようとしている議員が話題ですが、言い返すのもエサに食いつくみたいなのでこちらの方を拡散希望です。

今週末に盛岡で開催予定のイベント「安心 ・安全な場を作るために周りのおとなができること 多様な性/LGBTQを学ぼう」はアーカイブ配信もあります。
24zzz-lgbt.com/event/202509...

また You Tubeで学べる無料動画も作成しています(要申込)
24zzz-lgbt.com/blog/materia...

続きます

12.09.2025 10:00 👍 310 🔁 302 💬 1 📌 1

既存の秩序として大きな顔をしていたもの、正しさを自分たちに押しつけていたものがもう古いものであり、機能しなくなっていることは直覚されている。

今の支配的秩序は、一人一人が世界に素手で触れ直接にやりとりして関係性を変えていく主体であることを徹底的に疎外して成り立っているのはその通りだ。

疎外され、間違ったものを押しつけられ続けてきたことに対する復讐、意趣返しが前面に出る。

実感されない良いことや正しさではなく、まずはわたし自身が実際に実感する変化をおこすものが求められ、実感しないことを受け入れる優等生のアタマではなく、疎外され受動化され続けた結果の身体性の反動が優勢になっている。

28.07.2025 01:06 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0

ヴァージニア・ウルフ「戦争を阻止するためのわたしたちの最善の手助けとは、あなたがたの言葉を繰り返し、あなたがたの方法に従うのではなく新しい言葉を見つけ、新しい方法を創造することです」

27.07.2025 14:01 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

キム・ジヘ『差別はたいてい悪意のない人がする』では著者が自虐的に謙遜しようとして自身を大勢の前で「決定障害」と呼んだ。

指摘されてようやく「障害」ということばをいわゆる健常者側が面白おかしく使っていたのだということに意識がいたるエピソードが紹介される。

この事例に限らず、自虐的謙遜をするときに、自分に対してだから何を言ってもいいだろうと油断するのだけど、自分に対する見方でもたとえば能力主義前提で「自分はこんなだった」「こんなです、ははは」ということは、他の人に対しても能力主義の視点で見ているよという表明だし、政治性として能力主義風潮を焚きつけてこそいても、全く消火はしていないだろう。

10.05.2025 03:15 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0

印籠をみせて締めていた時代劇の安心感は結局体制内におさまるというところなのだと再認識するのは、アクロバッティックな素敵対応やストイックな自己責任サムライを賞賛するおすすめつぶやきをアルゴリズムにみせられるとき。

その人が素晴らしいというところより、そういうあり方が増えれば構造を批判しなくてよくなるところに反応がある。それは批判したり八つ当たりをぶつけても自分の属する体制にさしさわりのない外国人にヘイト向かう心性と同じ。

27.04.2025 09:18 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0

人間はミノムシのようなものとよく思うが、そこらへんにあるもので自分の外殻を作っていく。

ことばを使い、ことばのうえでの信念を自分の信念とするのが時代の前提だが、ことばや考えもまた、ミノムシがそのへんにあるもので作ったミノと同じく、外殻であり、その外殻が自動化したものがことばで考える理性的主体・意思的主体としてのわたしだろう。

外殻自体に神経はなく、外殻はその意味でも外からの影響を遮断するためにある防壁である。このわたしとして認識される人間の外殻もまたその基本的性質は外のものからの影響を遮断する防壁としてあると考えれば、なぜ言っていることが伝わらないのか、頑なに変わらないのかが納得できる。

17.04.2025 04:42 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0

よって、何を考え、何を見つけたとしても、当事者が発しているのはいつまでたっても声なのであり、意見としては世間にはまともに受けとられない。では、意味や内容としては世間に相手にされない当事者や素人がどう伝えるべきことを伝えるのか。いっそのこと一種の大道芸、パフォーマンスにしてしまえば、重箱の隅をつついて悦にひたってやろうとわらわらやってくる先生方を、え?あなたマジレスですか?とぴしゃりとうちおとしながら本来の対象に届けるべきことが届けられよう。親が死んだ直後の注意事項5項目も参考になる。

10.04.2025 16:55 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0
勝山実『自立からの卒業』書影

勝山実『自立からの卒業』書影

落語家のような語り口で政治や社会の風刺をする欧米のコメディアンのよう。一般に専門家でもなんでもない人がいうことは、世間からは「声」としてとらえられる。声というのは、意味や内容ではなく、身体的・動物的な五感のあらわれ。一方、専門家のいうことは声ではなく、理性的思考であり、信じるに足る現実として受け取られる。当事者や一般人の声は、専門家などの権威がそれを解釈して位置づけ、言い直してから、はじめて一般社会がまともに受けとるに値する意味内容になる。

10.04.2025 16:54 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0

人間が自然を逸脱した存在であるという言い方をよく聞くが、異常な状況になると選挙などしても自分もろとも滅ぼす人を選んでまるごと更新されようとする感じなど、とても自然ぽいような気がする。

18.03.2025 09:08 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

緒方正人さんの本で「チッソはわたしであった」が有名だが、こちらは各所の講演録をあわせたもの。一方、「常世の舟を漕ぎて」はライフヒストリーに加えて緒方さんの思想が語られていて、どちらかというと「常世〜」のほうが一貫性があり、密度も高い。

検索をすると「チッソは〜」のほうはたくさん出てくるが、「常世〜」への言及は少ないのが不思議だ。一時期絶版していたこともあるのかもしれないが、ある種「水俣のことを読んだ」という動機で有名な本を読んで何がしかのカタルシスを得るのが目的であって、内容を受けとってさらに考えたいわけではないのだろうか。

12.03.2025 04:25 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0
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同志社コリア研究センター 同志社コリア研究センターのwebサイトです。

同志社コリア研究センター | 同志社コリア研究叢書6『飯山由貴《In-Mates》の上映禁止が問いかけるもの:検閲/コロニアリズム/ジェンダー』
do-cks.net/works/public...
電子版一括ダウンロード可能。

01.03.2025 08:44 👍 1 🔁 2 💬 1 📌 0

このように考えてみる。人間にとって記憶とは、ハードディスクに個々のデータが雑多に収納されているようなものではなく、一つ一つが種のようなものであると。それぞれの種は、次の状態へと移り変ろうとする動機をもっている。移り変わりに必要なものは、それぞれの種が固有に求める経験の質だ。質こそが身体にとっての現実の経験となる。物語を読む人は、種である記憶が求める経験の質を得ようとしている。

07.03.2025 16:32 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

自分を何と規定しているか、自覚している規定と無自覚の規定があるだろう。いろいろな不都合をおこすのは無自覚な規定のほうであり、これは変えにくい。

公的には差別に反対する人が親族の婚姻などにおいては差別感情を抑えられなかったりすることは、自覚的な思考と身体化した記憶との乖離といえるのではないか。

そのため理屈でのアプローチだけではなく、身体性を介在させる。具体的な状況に身を置いて、現在の規定を決定づけた過去の経験をよびおこしつつ、動きだした経験に「続き」を提供することで規定の意味は遷移する。

あらためて、経験とは自律的な変化や移り変わりのプロセスのことであり、それが人にとっての時間である。

07.03.2025 15:12 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

かんせつかするとは
けっきょくたにんごとに
することであり
あたまのもんだいに
すること

かんせつかされた
だいきぼなしくみを
いくらせんれんさせても

せかいのせんさいな
かさなりあいを
じっかんすることから
きりはなされた

それぞれのひとが
むせきにんかして
やがていっきに
くずれるのを
まのあたりにしている

じぶんごとにするとは
かんせつかされた
あたまのもんだいを

じっかんする
からだのもんだいへと
ひとつひとつ
ほんやく
しなおしていくこと

04.03.2025 05:26 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

たにんがどうこうではなく
じぶんにちょくせつかかわり
もはやこのままでは
じぶんのいきていくことが
なりたたないすいじゅんまで
もんだいがやってきたとき
ようやくひとがかわる

それまでたにんのことを
ほおっておいたひとたちが
じぶんにあついひのこが
ふりかかってきたときに

しゃかいせいぎの
すろーがんをかかげて
みんなのもんだいにして
ほかのひとを
うごかそうとすることに
うんざりしているむきも
あるかもしれないが
じぶんもひとも
そのようにしか
かわれないから

04.03.2025 04:12 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0

・・・たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。

さかなクン「広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。」・・・

社会自体が監禁空間としての半面を持つということ。学校など一箇所に閉じ込められること自体がいじめや強い独裁的リーダーを作りだすことを認めることは既存の社会や世間には難しいだろうか。

www.asahi.com/articles/ASH...

02.03.2025 03:49 👍 2 🔁 1 💬 0 📌 0
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傷は自分を追い詰めていき、また周りを不快に揺り動かす。やがて高まった圧は暴発し、周囲をまきこみ今まであったものや関わりを壊す。

と同時に、傷は関わるものたちに自分たちの現状のいびつさに向き合わせて、人を窒息させていくガスが充満する環境にもはや糊塗できない風穴をあけ、状況を不可逆的に更新してしまう。

傷は人間と人間の合意の外にあり、だからこそ人間同士では乗り越えられない欺瞞に人間を対峙させる。

傷とは個人のものではない。
傷は共同的なものであり、社会的なものである。
だからそれは社会に返されなければならない。

28.02.2025 16:42 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0