もし走れメロスのメロスが現代のアメリカにいたら、きっと、あの邪智暴虐の大統領を除かねばならぬ、と決意するのだろうなあ。
もし走れメロスのメロスが現代のアメリカにいたら、きっと、あの邪智暴虐の大統領を除かねばならぬ、と決意するのだろうなあ。
共同体とは「国家のため」とか「社会のため」とかで平面的にできているものではなく、「私のため」と「みんなのため」を縦糸と横糸にして編み上げるものではないかと思う。
だから「国家のため」で、誰かの幸福追求を邪魔しようとする試みは、共同体的ではないのだと思う。
久しぶりにXから逃げてきた。
「明確な反対者」よりも「客観的な第三者」ぶる「ネット軍師」の方がムカつく。人の権利が踏み躙られてるのに、賢しらな言葉を並べても、その言葉に血が通ってないんだよ。
人のどうしようもなさを見ることもあるけれど、依頼者の気高い決断を見ることもある。そういうときに働いているのは間違いなく「意志」の力なんだと思う。
法律家は「意思」は知っているけど「意志」を知らない、あるいは忘れてるんではないかと思う。言葉としてでなく、その意味について。
自分でいうのもなんなんだけど、僕の話は「分かりやすい」。だから分かりやすくするために、過剰に単純化してないか、それにも気をつけないと、とも考えるようになった。
今朝も朝ラン。出張先で走ると、知らない街を見ることができるから楽しい。その分、荷物が増えるけど、許容範囲。
僕の良いところでもあり、弱いところは「遠慮」ではないかな。相手が忙しいだろうと思って踏み込んで頼めないところ。
それは大事なんだけれど、「これはあなたに頼みたい」を、相手がなんか嬉しくなる言い方で伝えられるようになりたい。
電話だと聞くのがしんどい話が、対面だとなんとか聞けたりするんだなあ。これがコミュニケーションだねえ。
最近、生活保護の自動車保有を交渉で認めさせるのが続いている。
僕が凄いと自慢しているのではなく「認めることができる」事案で福祉事務所が処分を指示していることが問題。それだけ権利を制限する方に制度を運用しているということ。
裁量は、利用者の権利を保障する方向で行使を。
広陵高校を学校ごと非難しつつ、戦後世代の戦争責任みたいな言い方は爪の先くらいでも排斥しようとするメンタリティ。
きっと「自分には関係ない限り連帯責任OK」みたいなものなんだろ。
なお、これを「織田信長理論」と適当に名付けて飲み会では話している。
あと、別に「天下を取る」つもりはない。
京に近い畿内には武将が多すぎる。かといって武田や上杉は京までの道のりに邪魔者がいた。
ちょうど良く離れたところにいたからこそ、信長は天下に近づいたと。
今も東京に近すぎず、遠すぎない距離が何かをなすには良いのではと新幹線で1時間半の仙台に住みながら考えている。
Googleドキュメント、いいなあ。手書きでメモを書くことが多いけど、パソコンを出したくないときに音声入力するとだるくない。もうちょっと使ってみよう。
GINOでベーグルを買いたいし、こぐま酒店でビールを買いたけど、暑くて並びたくなかったし(GINO)、東口まで行きたくなかったし(こぐま)。
でもGINOが移転と聞いたし、暑さも少しマシだからそろそろ行かねば。
本人が大事だと思っているものを、何も聞かずに否定するわけにはいかない。不合理だと思っても、許容できる不合理もある。そういうバッファは必要。
債務整理をしていて、例えばウォーターサーバーにお金を使っている場合、すぐに「浪費」と言いたくなるけど、こらえて理由を聞いてみた方がいい。
「健康のため」とか理由が出てきたら、他の費目との関係で許容できるかとか考えてみてもいい。判断するのは、一度は考えを聞いてから。
なお、ひとり親世帯の親が専門学校などに進学する場合は、その親が世帯分離されて子どもだけの世帯になる。保護費は減額されるが、資格を取得して収入がアップすることもある。そういう道もあることは伝えたい。
生活保護手帳別冊問答集問7-155-2には「ひとり親世帯の親が高等学校等に就学する場合」という問答がある。
要約すると①就労収入が低いか子の養育のため就労できない、②本人に就労自立の意思があり、高卒資格を得ればその可能性が高まる、③生活態度等から卒業が見込める、が要件。活用してほしい。
終わったなあ、仙台七夕まつりも、盆前の追い込みも。この2週間、しんどかった…やり切った…
差別だと批判を受けると(本心はどうあれ)生業に影響が出るから謝罪したりするんだけど、「差別自体が生業」みたいな輩は止めたら生業が無くなるから謝らんのだろうなあと、週刊新潮の件なんかを見て思う。
仙台弁護士会のキャラクター、すずまるとずんちゃん。
僕が頑張って企画書を書いて出したら、ぬいぐるみが実現するのではないかと思い始めた。ただ、それよりも前に「あれ」とか「これ」とかをやらないといけないので、盆休みに入ってからだなあ。。
senben.org/archives/11440
新書「なぜスーパーではぐれると妻を見つけられないのか」があったら欲しい。
ヤバい。最近、飲み会で洗濯の話をするのが続いてる。ヤバい。そろそろ新しい洗濯理論を発表しないといけないけど、法律と洗濯が絡むのは「クリーニング約款」くらいで、家庭の洗濯物と法律は絡まない。ヤバい。
「小異を捨てて大同につく」というけど、何かを成し遂げようとしたら「その一点だけは手を組める人」とも手を組むべきなので、「大異を捨てて一同につく」くらいの覚悟も時には必要。
異常な暑さ、異常な物価高騰、異常な内外の政治情勢。異常さに囲まれても、平衡感覚を失わず「普段」を貫く。
交渉の途中で「こちらも『本音』で話すからそっちの『本音』を聞かせろ」と言われたときに、それでも型通りの回答をするのは残念だと思う。
相手の『本音』を聞ければ少なくともこちらの最悪の事態は避けられるかもしれない。そういう情報を得ようとしないのは交渉スキルの問題。
それを弁えておかないと、煽られておかしな判断をしかねない。今は特別、でも過去も未来も特別。
最近よく言っている言葉。「今は過渡期。でも歴史はずっと過渡期」
いろいろな物を見て話を聞いてよく考えて考えが変わる。でも、また違う考えに触れて揺さぶられる。
そういう繰り返しで人間は深くなっていくんじゃないかと。だから変わることを恐れない、変わることを楽しむ。