7、8割でいいから早く安く。取り敢えず成果があれば十分。
そういう仕事は最初は良いが暫くすると不都合が出る。そしたらまた作ればいい。変化が激しい時代はそれでも回ってしまう。
だからAIで十分どころか、AIでなければ勝負にならない。
仕事はAIで効率良く。そうなっていく。
7、8割でいいから早く安く。取り敢えず成果があれば十分。
そういう仕事は最初は良いが暫くすると不都合が出る。そしたらまた作ればいい。変化が激しい時代はそれでも回ってしまう。
だからAIで十分どころか、AIでなければ勝負にならない。
仕事はAIで効率良く。そうなっていく。
今までの業務なら
「これやって」
「できません」
「だめだなぁ。他にやらせるか」
だったが、これからは
「じゃあ、それでいいからやって。
要求が厳しすぎたね」
という時代になると思う。
完璧を求めない世の中になる。
人も能力も不十分な時代。
作品を載せる場所がない問題、どこにも載せないのが正解なのかもね。
表に出した瞬間に成果主義の餌食になるんだから。
わざわざ嫌な奴の手助けをする必要はないもんね。
載せるにしても一部とか。
なぜ生成AIユーザーが平気で心無いことをするのか?
それは普段の生活でそうせざるを得ないから。心が無い状態でいる方が気が楽だから。
それだけ仕事や家庭の生活が苦しい。だから創作者を侮蔑するし見下せる。
僕が生成AI批判ばかりする割に批判されにくいのは、僕が普段ガチ仕事人間だからなのかもしれない。ちゃんと心を切り替えているからね。
昔はお芝居するだけの余裕があった。会社や家庭でお芝居してお酒で解放する。社会もお酒に対して寛容だった。
今は心を壊して自ら機械にならないと生活できない。お酒も高くつくし酔っ払っていても常識は破れない。
創作は社会不適合者が最後に辿り着く避難所だったのに、社会が不健康になって皆んなそんなふうになってしまった。
だから、社会を変えないと生成AIも無くならない。そのハードルはめちゃくちゃ高い。
ただ、脳は簡単に切り替えできるわけではない。時間が掛かる。
だから、切り替えせずに創作(っぽい)ができる生成AIが流行った。
ロジカル脳のまま創作した気になれる。
これは社会構造の問題。単純に生成AIを規制しろと言えない理由。規制するなら代わりのものを与えなければならない。
昔はお酒だったんだけどね。
成長することが前提の社会では心は要らない。若いうちは上司の手足となり、上に立てば冷酷な指示を部下に与える。心がある奴が生き残れるようには社会は出来ていない。ロジカルシンキングできる奴だけが残る。人間が機械化する。
だから創作がもてはやされる。たとえ格好だけでもいいから心を解放させた気分になりたい。
「自分で作れなきゃ他所へ行きな」
は、そういった人にとっては死刑宣告のようなものかもしれない。
創作畑のあの人も最近は殆ど作品を載せない。みんな気軽に載せたくない気持ちなのかもね。
同じ銘柄の胃薬でも錠剤は普通に飲める
顆粒のほうは不味すぎて吐きそう
本業は大型運転手だし、絵も小説もど素人。ごく普通の一般人。
なんの取り柄もないけど通りすがりの人が「変な生き物がいるな」くらいに思ってくれたら嬉しいんだけど。世の中は凄い人だらけだもんな。
正直、いま絵を上げる場所が分からない。クリエイターじゃない趣味絵だし、二次創作でもないからコミュニティもない。どこもAI汚染が酷いし。もちろんXは論外。
上手くもない絵だから無反応は普通だけど、そもそも誰も見ていないでは淋しい。
商品としての創作にも興味ないな。
作品にお金を出すのはその作者に対しての敬意。なんなら作品そのものは少しだけ見せてもらえばそれでいい。
こんなことを言うと誤解されそうだが、僕は人様の作品の細部には注目しない。
どんな好きな作品でもそう。それよりもモチーフとシルエットを重視して見る。
そして、それを生み出した人に興味が湧く。
作品そのものよりも人に興味がある。
インターネットのどこを見てもつらい話ばかりで悲しくなっているけれど、
これは「つらいことが多すぎる」ということが悲しいだけで、「みんな暗い話題ばっかりでやだ!創作の話だけしてたいのに!」みたいな悲しさではないです
私個人としては、問題に対して何か行動を起こすほうが世が間違った方向に傾きにくいと思うし、この状況で「楽しい話題だけしていたい!」というほうがグロく感じます
胃薬が不味い
食欲が失せる
創作する側もあまり評価を気にしては良くないかもね。特にAI時代は。
世間は短絡的にしか評価しないから。
そんなものより自分自身の内面に目を向けなければいけない。それは自分にしか見えないもの。
国や社会は目に見えるもので出来ていて評価もそれに対して行われる。
だけど、それらを支えているのは目に見えないものたちのちから。
このことに対しての感覚的な危機感から批判する人は行動しているし、そういったものには興味のない大半の人達は批判側を嘲笑して見ている。
そしてその結果も目には見えづらい。苦しい立場だが意思は大切。
AIによって手に入るもの。
目に見えるもの。お金や評価といった数字にできるもの。
AIでは手に入らないもの。
目に見えないもの。感性や知識や技能といった直ぐにかたちにできないもの。
なんかやっと言いたいことが言えた
すっきりした
結論っぽくいうと、毎日だらだらと過ごして人糞製造機と化すくらいならAIを活用してより多く生産する方がよほど合理的で有用だし、そうじゃなく目的をしっかり持って有意義な人生にしたいというならAIなんかに頼っていてはダメだということ。特にクリエイティブ分野では影響が大きいと予想する。
ここからは個人的意見だが、
創作に生成AIがどれだけ貢献するかは、ほぼ絶望的に0に近いと思う。特に長期的に見た場合は。
まだ実用化して数年なので当然検証はできない。勘というやつだが、それがはっきりする頃には天と地の差がついているだろう。
一端の創作者を目指すなら使わない方が良い。訴えられるとかのリスクじゃない、自分自身の能力に対するリスクが半端ない。
使えとか使うなとか、どっちなんだと言われそうだが、正解は無い。さっきも述べたが損得や善悪ではなく生き方の問題。だから、どっちも認められる世の中を目指さなければいけない。
AI(特に生成AI)は権利問題と切り離せないが、これも実に短期的な視点での批判だと思う。
著作権法が日本で生まれたのは1899年。法律や善悪は時代の要請で幾らでも変化する。
この法律がいつまで今のままかは誰にも分からないが、恐らく近いうちにAIに合わせて変わると思う。
AIの是非はもっと個人的判断に任せた方がいいし、社会はそのどちらにも不利にならないような仕組みへと持っていった方が良いと思う。
今どきの人はすぐに答えを欲しがる。AIはうってつけのツール。
使うか使わないかでは生産性に大きな差がつく。使わない方が損に決まっている。
ただ、そこには短期的な視点しか存在しない。短期的には得でも長期的には損なんてことはざらにある。長期的影響はさっき述べた。
自分をどうデザインするか? それが分からない人が迂闊にAIに手を出すと一生挽回できない痛手を被るかもしれない。
つまり、使う使わないは善悪でも損得でもない。人生哲学を深めなければ判断できない。
AIとの向き合い方は人生をどう捉えるかで判断が分かれると思う。
善悪の価値観が消失して損得に置き換わった今ならAIは最良のパートナーだと言えるかも。
一方でもう一つの価値観を忘れてはいけない。“共感性” だ。
承認欲求と共感性は関連が深い。そしてそれを担うのが脳の前頭前野。
前頭前野はコミュニケーション・思考・情緒などと大きく関わる。
ここを鍛えるには新しいことや複雑なことを行うのが良い。創作はその最たるものだ。
確証はまだないが、AI依存は前頭前野を退化させるだろう。ただでさえ効率優先でここが鍛えられない人は多い。
経済的には有利なAIも、長い人生を考えた時にもそう言えるかどうか?
今頃気づいたんだが、少なくとも日本にはもう善悪という価値観は殆ど無い。
全ての価値観は “損得” なんだよね。
おそらく犯罪さえも損得で考えている。だから生成AIの問題もピンと来ない。
これじゃあいくら訴えても暖簾に腕押しだったわけだ。
あまり絵を上げる気にならなくて上げてませんが、描くには描いてます。
単純な構図で意図を伝えようとすると難しいですね。
ひとりの人間には“公”と“個人”の2つの人格がある。(日本では2つはごっちゃになりやすいが)
“公”の僕は生成AI肯定になりつつある、というより成らざるを得なくなった。今の状況はもう後戻りできない所まで来ているからだ。
“個人”の僕は一貫して生成AI反対。絶対に使いたくない。
どちらも僕に変わりない。このアンビバレンスな状況は精神上ほんとうに良くない。
よく戦争憎悪と兵器嗜好は同居するが、これと僕の生成AIへの反応は全く違う。
前者は破壊や殺傷の道具としての美学(翻って生命への敬意)と、道徳としての大量破壊への嫌悪感だ。
後者は生存するためのライフハック的思考と、生理的精神的倫理的論理的な拒絶反応だ。
僕は、AIの評価と現実的な対処法は完全に別けて考えたい。
すでにある以上は無視も拒否もできない。上手に付き合うことでしか、もうこの世界では生きられない。それは他の発明品と同じ。使わなければ損をするに決まっている。
だけど生成AIはクソだ。視界の端っこに写っただけでも吐き気がする。人類史上2番目にバッドな発明だ。
あらゆる発明はこれまでの人類の功績を土台に行われる。その発明には先人へのリスペクトが必ずあった。
生成AIにはそれが無い。靴のまま顔面を踏み台にしてのし上がった。許せない。
生成AIの最大の問題は著作権含め権利問題だが、これは近い将来に法律や制度でクリアされるようになると思っている。かなり力業になる気はするが。
だが本当の問題はそこではなくて、人の思考プロセスへの影響だと思う。
人の思考もAI同様に直線的一元的になる。いわゆる馬鹿の一つ覚えになる。
当然社会全体もそうなっていくから、個人的にはさほど困ることはないだろう。
ただ、自分がそうなりたいかといえばノー。
経済的社会的恩恵を受けるか、精神の自由を守るか。後者とてAIによってベクトルが定められた世界では容易いことではない。
だから、若い人達には前者を勧める。