ショウ・ザ・ファルス・フラッグ。しかし、falseとphallusの違いまでは見えなかった。
ショウ・ザ・ファルス・フラッグ。しかし、falseとphallusの違いまでは見えなかった。
かつて、グーグルが一世を風靡したとき、ボクたちはなぜか検索がうまかった。生成エーアイへのプロンプトも余人の及ぶところではない。その《なぜ》に用がある。それはつまり、教育のはなしだ。
カフェインをきめる。
声にだして読みたいニッポン語だ。「ポストモダンの極北がネトウヨ」
シーシャープのアプリケーションを毎日デプロイしているのでえらい。こんなおとなになるはずじゃなかった。
言葉を遣うのがあまりに上手すぎたきみたちに。
岩国藩と長州藩はちがうんじゃないかって? 知らねえよ、そんなこたぁ。
基地は攻撃される。それがプリンシプルだよ。あなたがたは忘れてしまったかもしれないが。次の戦争じゃ、岩国もろとも長州が焼かれるさ。それがプリンシプルだよ。あなたがたは忘れてしまったかもしれないが。それが二十一世紀だ。
オザケンの《神》とは。
ゼロ年代なんて、いまじゃ『むこうぶち』のなかにしか残っちゃいないんだよ。
斬首作戦を受けいれるなら、テロリズムを認めるのが筋ってもんだろう。好きな提督がヤン・ウェンリーのまま、四半世紀以上が経った。
自分と自分の反革命に折り合っていく。それで精一杯なんだなんて断じてなるものか。二十歳だったあのコのはかなくかたくなな横貌にかけて。ドント・トラスト・オーヴァ・ドライヴだわよ。
お散歩ちゅうのプロンプト(偽史)。
- 文脈自由文法
- 自由間接話法
これらの用語の「自由」は意味が異なりますが、同じ単語(英語ではfree)です。一方で、これらの用法は人類の言語に関わり、哲学的な意味さえ持っています。
これらの「自由」を(対比して)論じた研究があるか調査してください。
哥ちゃま(東浩紀)はブロック完了しているので。
建前を存続するためには根回しが必要で、根回しを成立させるためには文明が必要だったという仮説。
人工知能学会誌の表紙のはなしをすればいいんじゃないかな。
なんども言ったじゃないか。《リアルポリティックス》の促音に用がある。
でも、エーアイは抱きしめられないじゃないですか。
九〇年代には、つまり、小さい頃には神様がいて、恋愛物語(ラブ・ストーリー)が(すくなくとも)東京にはあったんだ。ただしく言いなおそう。二十世紀には、なかんずく昭和には、あったんだ。あったはずだ。たぶん、きっと。しかし、いったいなにが?
「あんスタ 畢竟」で検索してぐんくつ(←なぜか変換できない)の音を聞く。
自認高学歴なとっちゃん坊やのアラフィフだけど、そこいらのチンピラに「だってアンタ、交差点や駅のホームで俺を後ろから押すタイプの人間じゃないか」と喝破されて黙ってはいられない。「そ、そ、そんなわけはない。ぼくらが目指すのは一点突破全面展開だ。きみも救われるべき大衆の一員さ」
ねぇ、ナナ。
私が自画自賛するときは追い詰められてるときなんだけど、私はやっぱり天才だと思う。
ボスケテはいりまーす。
シホンシュギが得意すぎる特異点だったんだよな。シンギュラリティじゃない、エクストラオーディナリィのほうだ。いいぜ、戦争を再開しよう。想定放物線の微分できない一点を突破して全面展開だ。
ダイガクがレジャーランドだった時代もあったんだぜ。そうさ、あの頃はまだ、駒場寮だってあったんだ。ぼくたちがそれらと敵対していたかどうかには関係なく。
MacBook Proがaikoの『カブトムシ』を奏ではじめた。黒猫のごはんを用意しよう。
一九九五年、冬は長くって寒くて心凍えそうだったよね。
この歳でこの時間にビズってるのは才能が足りなかったんだろう。なんの才能ってロードーシャの才能さね。やれやれ。それじゃ、セカイと対峙していこうか。
ぴすぴすとびずびずの斗いでは(略