あすけんの有料プランを試してみたところ、隠しパラメータ(ビタミンDと亜鉛)が解放されてよりゲーム性が増したわけですが、不足しがちなビタミンAを目標摂取量とるためには、生のニンジンを丸かじりすると比較的安いことが判明しました。油と塩の摂取は可能な限り避けたいので、ニンジンは素材の味を楽しむものとする。
ちょっと前まで干しあんずを食べていましたが、円安の昨今、干しあんずは割高感が否めない。
あすけんの有料プランを試してみたところ、隠しパラメータ(ビタミンDと亜鉛)が解放されてよりゲーム性が増したわけですが、不足しがちなビタミンAを目標摂取量とるためには、生のニンジンを丸かじりすると比較的安いことが判明しました。油と塩の摂取は可能な限り避けたいので、ニンジンは素材の味を楽しむものとする。
ちょっと前まで干しあんずを食べていましたが、円安の昨今、干しあんずは割高感が否めない。
〈トークイベントのお知らせ〉
2025年11月24日(月・祝)13時〜15時
『福音派―終末論に引き裂かれるアメリカ社会』『歴史修正ミュージアム』刊行記念イベント「アメリカの信仰・文化・歴史をめぐる闘争を考える」
登壇者:加藤喜之、小森真樹、北村紗衣(司会・進行)
*配信(アーカイブ)あり
詳細と申込はこちらから→ books-lighthouse.com/portfolio/20...
フィクションにおける名画の扱いは難しく、「壮絶に美しい絵」を画面に映した途端嘘っぽくなりがちなのですが、駄目な絵の駄目さも、やはり説得力をもって語るのは難しいように思えます。(Netflixの『リプリー』を想起しつつ)(『リプリー』は頑張ってはいたと思う)
ですが、「ヒトラーの絵」と、「ヒトラーを現代絵画の知られざる巨匠とする、売れないシェイクスピア俳優」とを設定することで、「救いようがなく駄目だね!」という衝撃を与えたのは上手いと思う。
Netflixの『ジェントルメン』(ドラマの方)を観ていたところ、
①観光バスが乗りつけるレベルの城所有者が、50万ポンドの脅迫を受ける
②一人の人間の一生を棒に振りかねないスキャンダル
……とあって、何をやったんだ? と興味津々見守っていたところ、
①アドルフ・ヒトラーをレオナルド・ダ・ヴィンチにわずかに劣ると位置づけて作品をコレクション
②コレクションの中には、ヒトラーがソンムの戦いで失ったとされる睾丸のホルマリン漬けも含まれる
……とあって、それは確かにスキャンダルだわ! となりました。
気楽に楽しめる、いわゆる「ラブリー」な作品だと思って観たので、犯人が判明した際の衝撃がすごくて倒れ伏している。しんどい。
ラブリーな舞台装置、ラブリーな設定、ラブリーなキャラクターで不法移民排斥はやらんでほしい。いや、でも、そういうやり方が一番効果あるのもわかるんだけど……!
イギリスのコージーミステリの映像化作品を観たのですが、主要登場人物が金持ちの白人ばっかりで犯人はポーランド系不法移民、というのはちょっとどうかと思う。
①コージーミステリは保守層に好まれる、②ミステリは秩序の回復を目指す……といったことを考えると、上記の作品がどれだけおぞましいかはおわかりいただけると思う。
昨今ではジャンルとしてのSF、ファンタジーに失望させられることが多いですが、まあミステリもそうだよね、みたいな気持ち。となると、ジャンル作品って何なの? という気持ちにはなってくるかな。
これは蛇足なのですが、履いている靴下のセンスがおかしいティルダ・スウィントンも出てきます。運命の破滅がティルダ・スウィントンの形でやってくるのはめちゃくちゃ怖い。
男同士では傷を舐め合ったり、奪い合ったりする一方で、女性はめちゃくちゃ怖くて人間とは思えないか、あるいはめちゃくちゃ美しくて無制限に優しくて面倒を見てくれる若いエキゾチックなキャラクターしか出てこないというのは、ちょっとどうかと思う。
とはいえ、冒頭の、終わってるギャンブラーの終わり具合を説明するシークエンスはちょっと素晴らしいです。『西部戦線異常なし』の冒頭、戦死した兵士の軍服のリサイクルを説明するシークエンスでも、ドイツの第一次大戦の詰んでる感がすごかったですが、エドワード・ベルガーは、手詰まりな状況や破綻寸前のシステムの説明がめちゃくちゃ上手い。金融恐慌の話とか撮ってほしい。
あと、賭博場の主みたいな東アジア系女性もめちゃくちゃ怖いです。金持ちの亭主が浮気している面あてにギャンブルに興じているそうですが、あれはもうわりと人間ではなくなってしまっている感あった。
落ちぶれたギャンブラー同士の会話で、ギャンブラーの地獄は勝ち続けること、みたいな会話があるので、終盤、主人公が賭博で起死回生を遂げるところは、「もうこいつ死んでいるのでは?」と期待していたのですが、そうではなかったのでかなり残念。
ある土地を植民地にして収奪するというのは、いつ、誰が、どのような形でしっぺ返しをくらっても仕方がない、ということなので。
でもなんかいまいち納得できてない。アイルランド人男性が中国人女性を救う、ならまあぎりぎりあってもいいかな、くらいな気持ちにはなるけど、なんで中国人女性がアイルランド人男性を救わなければならないんか? みたいな気持ちはある。
主人公のアイルランド人詐欺師の破滅を、若く美しい中国人女性が奇妙なやり方で救うのですが、これはいわゆる「マジックニグロ」と「マニックピクシードリームガール」の合体だと思われます。中国人女性周りの描写はまじでご都合主義すぎてみっともない。
東アジアの男尊女卑慣習の残る村から逃げるために、若い女性が両親の金を盗んで逃げたことと、裕福なイギリス人の高齢者女性を騙して、詐欺師が金を持ち逃げしたことを一緒にするなよ……と思いましたが、詐欺師はアイルランド系なので、ぎりぎり同じにして大丈夫かもしれない。
ただ、「これ施餓鬼会か!」と言ったら、仏教の催しに疎いクリスチャンの友人は「セガキエ?」となっていたので、逆にわかる人が少ないという判断があったのかもしれない。
『端くれ賭博人のバラード』、東アジアの仏教の死生観がシナリオに盛り込まれているのですが、扱い方がエキゾチシズムの域を出ていないように感じられて、だいぶきつかった。たぶん原作がそうなのだろうと思いますが、そういう原作をわざわざ選んだのは事実なわけで。
盆の時期に行われるthe hungry ghost festival 、施餓鬼会と気づくまでは、「はんぐりーごーすとふぇすてぃばる?」みたいな顔で聞いていました。強欲な人間が死ぬとhungry ghosts になるというのも、餓鬼と言われると「なるほど!」となる不思議。
というか字幕も餓鬼でよかったのでは。
ところで、Netflixのこれ面白いのかしら。17世紀のポーランドが舞台のコメディらしい。
www.netflix.com/jp/title/815...
『パトリック・メルローズ』は本当に本当に素晴らしかったので、ぜひ強く薦めたいところなのですが、どこも配信していないのが糞なのよね。私は近所のTSUTAYAで借りました。でもエドワード・ベルガー監督の作品では、『パトリック・メルローズ』が一番好きかもしれない。
『パトリック・メルローズ』、ベネディクト・カンバーバッチも素晴らしいのですが、主人公に性的虐待をする父親役のヒューゴ・ウィーヴィングが、まじで邪悪できもいです。ヒューゴ・ウィーヴィングは『窓際のスパイ』で主人公の邪悪な父親を演じていて、なんで? と思っていましたが、『パトリック・メルローズ』の父親役を観たら納得でした。『パトリック・メルローズ』ではものすごく情けない悪事に全勢力を注いでいる、ものすごく情けない男なのですが、本人はそれをやることが素晴らしい一大事業だと思い込んでいる、みたいな謎の説得力があった。
『パトリック・メルローズ』に比べると、『西部戦線異常なし』や『教皇選挙』、『端くれ賭博人のバラード』では、すり潰し具合がより洗練されているのですが——常にすり潰すのではなく、重大な瞬間に徹底的にすり潰す——、そういう好み的なものを抑制できることに敬意を抱かざるをえません。
これでエドワード・ベルガーの仕事を『ザ・テラー』、『教皇選挙』、『西部戦線異常なし』、『パトリック・メルローズ』、『端くれ賭博人のバラード』と観てきましたが、毎回、知性と感受性に優れた白人男性が巨大なシステムにごりごりにすり潰される場面をそれはそれはいい感じに撮っているので、たぶん、そういうのを撮るのがすごく好きで上手い監督、という把握でいいような気がする。『端くれ賭博人のバラード』、何となく常に印象の薄い(ごめんなさい)コリン・ファレルが主人公ですが、今回はものすごくよかった。こういう、鬼気迫る演技できたんだ! と驚きました。
エドワード・ベルガー監督の仕事を確認すべく、『パトリック・メルローズ』を観ました。すごくよかった。全部で五話のミニシリーズなのですが、五話にわたってベネディクト・カンバーバッチ演じる主人公がシステムにごりごりすり潰されていた。
好みの問題で、私はベネディクト・カンバーバッチのよさをいまだにわかっていなかったのですが、『パトリック・メルローズ』のベネディクト・カンバーバッチはものすごくよかったです。
三話がうっすら希望の持てる話なのですが、そういう構成になっているのは主人公をより完璧にすり潰すための位置調整でしかなかった。
肌寒い時に首に巻く小さいスカーフを編みたいので編み図を探しているのですが、YouTubeでたくさんのニッターがSophieというスカーフを編んでいて、なるほど無料の編み図を解説している? と思って調べてみたところ、普通に有償の編み図で驚愕している。無法地帯だな、おい。
↑は主に英語圏の話なのですが、Sophieの名を出さずに解説している日本語ユーザーのニッターもいる。
英文レシピ買って編むか! 一応日本語版もあるし!(でもたぶん編み図ではない)と思っていたんですが、これ、見る人が見たら、「YouTubeの解説動画のフリーライダーだ」と思われるわけ?
e7のラストでリプリーがベネツィアに到着する場面、ショスタコーヴィチの『ジャズ組曲 第二番 第二ワルツ』がかかるところは大変美しく印象的なのですが、あそこでハムスターホイールが壊れてリプリーが解き放たれた、ということなのかもしれない。しかしなぜ解き放たれたのかはよくわからない。ベネツィアすごい、ということなのか。ではなぜローマではそれが起こらなかったのか。
リプリーの造型も、同性愛者というよりはAroAceに寄せてあるように感じられて、ちょっとよかった。このひといいな、と感じた相手に対して、恋愛的惹かれや性的惹かれではなく、その人に成り代わりたい、その人のエッセンスを汲みつくしたい、みたいな欲望を感じるところがAroAceっぽい。
その欲望を向けた相手が、それを恋愛的惹かれや性的惹かれだと感じて反応すると、その反応に対して激昂したりパニックになったりするところもリアルだった。リプリーがセックスとロマンスに対して抱くうっすらとした嫌悪、みたいなのも感じられてとてもよかった。
作中、リプリーは殺害対象である富豪の息子から教えられたカラヴァッジョに取り憑かれたようになるのですが、最終話のヴェネツィアの場面は要所要所でカラヴァッジョレスクを意識した画面作りをしていて、とにかく最終話を撮りたかっただけなのでは? という気がしてならない。
最終話のアンドリュー・スコットは本当によかったが、本当によいアンドリュー・スコットはアメリカ人には見えない問題はあるかも。とはいえ、e1〜7までのアンドリュー・スコットがアメリカ人に見えたかというと微妙なところではある。
そんなことができるなら、最初からそうやっていればよかったのではないか。
リプリーこんなに間抜けだったか? いや、25、6で暴力に慣れていない青年のやることはこんな感じか、「リプリー」というキャラクターに対して幻想を抱いていたのかもしれない、しかし、アンドリュー・スコットにこんな杜撰なキャラクターをやらせる意味はあったのか? 途方に暮れた顔でハムスターホイールを廻すハムスターのようなアンドリュー・スコットを期待していたわけではない、確かにかわいいと言えなくはないかもしれないけど……と思っていると、最終話、ベネツィアでいきなりいつもの賢く優雅で冷酷なアンドリュー・スコットになって、抑制のきいた行動で事態を打開するので、いったいe7とe8の間で何が起こったんだろう。
Netflixの『リプリー』を最後まで観ました。アンドリュー・スコットのリプリーは、基本的に衝動的で辛抱が足りず、場当たり的に杜撰な行動を重ねていきます。
ただ、アンドリュー・スコットの『リプリー』はカラヴァッジョを重要なモティーフとしているので、たぶん、最終的に追っ手につかまって破滅するのは最初からわかっていた、ということになりそう。
まだ全部観ていない。いま、リプリーが富豪の息子を殺してローマに逃げたところ。
リプリーの動機は同性愛と解釈できるのもわかりますが、アンドリュー・スコットが不気味すぎてなんかそういう生きものとしか思えないので、同性愛解釈はちょっと違う気もする。あれは気に入った相手を見つけると、殺害して成り代わる習性を持った生きものであって、そこに愛とか性欲とかはなさそう。
あと、リプリーのなりすまし方法は大概杜撰なので、失敗が目に見えていてつらい。マット・デイモンが主役の『リプリー』について、哲也先生が「モロッコにでも逃げるべきだった」とおっしゃっていたけど、それは本当にそう。
Netflixのアンドリュー・スコットの『リプリー』、楽しくイタリアで暮らしていたらアンドリュー・スコットがやってきて、「君の両親からアメリカに連れ帰るよう説得しろと頼まれた」と言い、なんか気づいたら同じ家に住んでいて、挙動が自分と似てくるし、勝手にこちらの服を着たりもする……って怖すぎるだろ! なぜさっさと追い出さない!! と思いました。アンドリュー・スコットの目がじっとこちらを見つめている様子を想像するだに怖い。
今日は副菜にナスのフライを作ったのですが、メインにならないおかずで揚げものをすると、酔狂メーターが振り切れてよい。表面サクカリ、中はジュワトロでおいしく仕上がりました。
ちなみに、メインはこないだ作ったコテージパイを温めなおしたものでした。個人的にはコテージパイは白米が進むおかずなのですが、イギリスの人に怒られそうだな……とは思っている。